今日は久しぶりにダイヤモンド・オンラインの記事を読んだ。
以下の2つの記事は、地に足の着いた記事だと思う。
日
本のインフラが危ない(上)
東京五輪に備えた大量整備から50年
「物理的な崩壊」が日本列島を襲う
――東洋大学経済学部 根本祐二教授「引きこもり」する大人たち
「パラサイト中年」などの報道に思う
レッテル貼りへの違和感 ごくおおざっぱに言えば、
1つ目の記事は、題が示す通り、、道路・橋・学校・水道のインフラの老朽化が進んでおり、日本全国の自治体すべてが、それらを更新できるだけの予算が不足している。つまり、崩壊する。
2つ目の記事は、親の介護のために仕事を辞めざるを得ない状況にある人もいるのに、ひとくくりにパラサイトという語句を持ち出して何故レッテルを貼るのか、
そして、一部引用する。
「家庭にパラサイトしている中年が問題なら、企業や官公庁にパラサイトしている中年も、別の意味で問題です。定年の早い銀行では、40代半ばに達しているバブル期採用組をどう処理するかが人事部の頭の痛い大問題です」これは、なかなか鋭い指摘だが、2chにあったもの。
自分は、この分類(レッテル貼り)でいけば、家庭(親の残した金)にパラサイトしている中高年に分類される。
しかし、ただのんべんだらりと毎日を送っているわけではなく、子どもの教育含め成長における全ての面において責任を負っているつもりであるし、生活者としての家(ホーム)の運営も今できる最善の努力をしているつもりである。
しかし、世間はそういう人間を評価はしない。肩書で人間を判断するのが、一般的であり、金を稼がない人間は、一人前とはみなされないことが多い。
家を運営することで、一般的な会社員、公務員、司法書士、税理士、などとやり取りすることもあるが、そういう人たちと比較して、能力的に自分が劣っているとも思われない。
ただそういう方面の知識の絶対量が違うだけである。
当方、女性、しかも肩書きなしので、暗に下でに出ることや媚びることを要求される。
(本人そのつもりはないのだろうが、それがいままでの世間のやり方なのだろう)
そうされると、絶対にそうしないのが私なので、時々摩擦が起きる。
そうしながらじっくりとそういう人間(男が多い)を観察する。
そういう人間は組織に属して肩書を持っていることで、自分が素晴らしい、価値のある人間だと勘違いしている。
さあ、記事の話題に戻ろう。
現在、引きこもる大人たちが増えているというなら、それはむしろ自然なこと・原点回帰ではないだろうか?
自分の家族をほったらかしにして、会社で朝早くから夜遅くまで働くって人間としておかしくないか。
道路や水道、橋、も最低限は必要かもしれないが、高速道路・新幹線は本当に必要だろうか?
水道だって、山紫水明(近世はかなり怪しいけど)な日本で本当に必要だったのか?
先日どこぞのTVで見たが、日光で観光客のレジ袋を奪って中の食べ物を食べるなど、大暴れしていた猿たちが、木の芽を食べるような通常の猿の食生活に戻りつつあるというのを紹介していた。
まだ、人間の食べ物の味を忘れない猿もいるようだが。
マスゴミが流す情報や常識を疑うのはもちろんだけれど、人間として、人として、生まれたのは、きっと、高速道路を車でブッ飛ばすためじゃない。
栓をひねれば水が出てくるようなライフスタイルを楽しむだけでもないと思う。
何のためにここにいるのか、考えるのは損することでもないだろう。
posted by きさ at 10:59| 北海道

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日記
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