2013年05月22日

川崎病が増えている・・・?


川崎病と放射線被ばくに関連があるかもしれない・・

という話がツイッター辺りででているらしい。
と同時にそれ以前からもあるという話も・・

実はうちの息子も川崎病にかかった。
確か、1歳半くらいの時、
今、中学3年だから、13,4年前。

川崎病は原因がはっきりしないといわれていたけれど、
溶連菌が原因という説もある。
http://www.naoru.com/kawasaki.htm

これで決まり!なのかどうかはわからないけれど。

確かに小さい子どもはいろいろな菌に感染して病気になる。
そうやって、色々な免疫を獲得して強くなっていく。
1歳の時は、母親から母乳を通してもらった免疫がなくなるころだから、
いろいろな病気になる可能性は一段と高くなる。


うちの関して言えば、発病したのは、実家にいた時。
私は子どもたちを預けて、温灸の勉強をしていた。
子どもが小さいのにそんなことしなくてもという意見は周囲にあり、
息子が川崎病にかかったことで、一段と強くなった。

それはさておき、体格もよくてかなり丈夫で、健康な息子が川崎病になったのは
独断と偏見で、蚊取り線香が原因の一つではないかと考えている。
私の父母は、孫が蚊にさされるとかわいそうだと、ずっと蚊取り線香をたいていた。
その煙がいつも、ちょうどハイハイしたり、お座りしている息子の顔の周辺にくる。


蚊取り線香の成分
蚊取り線香やベープ等に含まれるピレトリンっていう成分て有害な物質なんでしょう
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311766508


ピレスロイド系殺虫剤で気分が悪くなる
http://okwave.jp/qa/q6819.html


殺虫剤スプレーで、私は頭痛になります。
化学物質には免疫がない血筋かもしれません  笑


私の感覚としては、川崎病は、
体の中に取り込まれた解毒しきれない有害物質を排除しようとして全身で高熱を発する、
という印象を持ちました。

今、川崎病が増えているなら、その原因はなんなのでしょうね〜


*アンジェリーナ・ジョリーの乳房切除 のニュースには
深いため息です。

乳がん患者をつくり出す医学界
http://aoisekai.blog.so-net.ne.jp/2010-01-12








posted by きさ at 09:40| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月16日

角田美代子事件とモラルハラスメント


まずはこの引用を

http://news.goo.ne.jp/article/dot/nation/dot-2013051500005.html

角田美代子事件の闇、被害男性が明かす「警察の怠慢」
2013年5月15日(水)16:00
「1998年に私が駆け込んだ段階で警察が動いとったら、それ以降に死んだ人らはみんな助かっとったと思うんです。それが悔しくてたまらんのです」

 そう訴えるのは、兵庫県西宮市に住む山口利治さん(仮名=54)である。山口さんは「尼崎連続変死事件」の主犯である角田(すみだ)美代子元被告(兵庫県警本部内の留置施設で自殺=当時64)の遠縁にあたる。彼は他の親族らとともに、98年3月から約1年8カ月にわたり、美代子元被告らによって、西宮市の高層団地などに軟禁されていた。

「美代子は伯母の葬儀にやってきて、段取りや遺骨の取り扱いについて難癖をつけ、私の父やその姉らを人質にして、親族を呼びつけました。以来、最初は『落とし前を払え』やったのが、徐々に支配に変わっていき、軟禁後は親族間で暴力を振るわせ、カネを奪うようになったのです」

 軟禁の渦中にある98年夏から冬にかけ、山口さんは兵庫県警甲子園署に計3回駆け込んでは窮状を訴えた。が、いずれも「民事不介入」を理由に警察が動くことはなかったという。

「最初は美代子との関係に始まり、これまでのことを2〜3時間かけて説明しました。しかし相手の警察官はシラけた様子。諦めて帰る前に、今日私が来てこういう話をしたことだけは記録しておいてくれと言うと、その警察官は『わかった』と答えました」

 しかし、2カ月ほどして山口さんがふたたび同署を訪れると、前回に来た際の記録は残っておらず、またイチから説明を繰り返すことに。山口さんは嘆く。

「その時も私に話をさせるだけさせて、諦めて帰るのを待っているような感じでした。案の定、『親族間の争いごとについては民事不介入やから』と断られ、私は1回目と同じく、今日のことは記録に残しておいてほしいと言い置きました」

 が、その願いも空振りに終わる。3度目に訪れた際にも、またまたイチから説明することになった。「話しながら、これはあかんやろうなと思いました。私はヤケクソな気分になり、帰り際に警察官に、『困ってる人間の話であんたらが出動するためには、事件化せなあかんねんな。ほな、事件にしたるわ』と捨てゼリフを吐いて甲子園署を後にしました」。

 ついに山口さんは美代子元被告を刑事事件に巻き込み、警察を動かそうと考えるようになった。そこで思いついたのが、以前、仕事で立ち寄った倉庫での窃盗だった。

「美代子に警備が甘いと提案すると、すぐに乗り気になった。そこからは美代子や親族なども加わって窃盗を重ねました。が、いざ出頭となると、妻子の顔が頭に浮かび、踏ん切りがつかなかったのです」

 山口さんは窃盗に加わるのを控えた。すると、99年11月になって、美代子元被告が親族のAさんという20代の青年を伴い、山口さんに「窃盗に行け」と脅しをかけてきたのだった。「Aの目つきが尋常ではなかったので、妻子を伴ってその日のうちに団地から逃げ出し、兵庫県内のある街に潜伏しました」。

 そんな2000年1月のある日、郵便物の転送願いを出していた山口さんのもとに、駐車違反の通知はがきが転送されてきた。彼が一時期、西宮市に置き去りにした車に関するものだった。山口さんは言う。「西宮署に出向き、この車は日常的にAが運転していたと話しました。そこでAが、前年12月に自殺していたことを知ったのです」。

 この段階で、山口さんは覚悟を決めた。山口さんは窃盗事件での出頭を決意し、その場で洗いざらい話した。翌2月、山口さんと美代子元被告を含め、窃盗に関与した全員が逮捕。2年弱続いた“家族乗っ取り”に終止符が打たれたのだった。

「でもね、それでも結局事件化されたのは窃盗だけでした。私も美代子も懲役3年、執行猶予5年の判決で終わってしまいました」

 4月25日、兵庫県警は「尼崎連続変死事件」関連で県内5署に対し、これまで10事案計14件の被害親族や友人による相談・通報があったとの検証結果を公表。うち6事案計10件への対応が不適切か不十分だったと、関係者に謝罪した。「ご本人から聴き取りをした内容を前提にすれば、本件相談が暴行等の犯罪行為を認知する契機となった可能性は否定できないと考えています」(兵庫県警本部)。

 だが、こんなコメントでは、山口さんの憤りは収まらない。「私も検証結果の説明を受けましたが、紙2枚に書かれた内容を読み上げただけ。最後まで直接的な謝罪はありませんでした」。

 山口さんは、本文冒頭の言葉を繰り返すのだった。「私が駆け込んだ段階で警察が動いとったら、それ以降に死んだ人らはみんな助かっとったと思うんです」。

※週刊朝日 2013年5月24日号


家庭におけるモラルハラスメントの特徴
http://www.geocities.jp/moraharadoumei/morahara.html


職場におけるモラルハラスメントの特徴
http://www.morahara.org/about/index.html

そして、集団ストーカーの手法
http://www.gangstalker.info/10.html


ターゲットを孤立させ、精神的に追い詰める というのは共通しています。
では、それぞれのハラッサーや、ストーカー要員が、何か大きな意図を意識してやってるかというと、そんなことはない。

彼らは、ただ他人を孤立させ、侮辱し、優越感を感じることに喜びを感じる、大人の姿をした、精神的に成長することをしなかったひねくれた子ども というのが実態に近いと思う。

しかし、いくら精神的に子どもでも、罪は罪です。
肉体的に人を殺すのも、精神的に虐待し、支配し、心を破壊するのも、罪です。

だから厳罰をとは言いませんが、罪を自覚してもらわなければ。

自覚できないなら・・・・

魂は完全に朽ちる ということだと思います。

(すでに朽ちてしまった人もたくさんいると思いますが。)


posted by きさ at 11:41| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月26日

札幌 kitaraで 葉加瀬太郎さんのコンサート



一昨日、札幌kitaraコンサートホールでの葉加瀬さんのコンサートに行ってきました。

1部はガチ、トークを封印してのがちクラシック、 

2部は、同じみ、エトピリカなどの葉加瀬さんの曲、ピアソラのリベルタンゴなどでした。

札幌のキタラコンサートホールは音響がかなりのレベルでよいホールなのです。

http://www.kitara-sapporo.or.jp/facility/greathall.html

音の良いホールとキタラ
http://yukimaru0810.blogspot.jp/2002/01/blog-post_09.html


そこで葉加瀬太郎さんの演奏を聴けるとは、大変幸福なことでした。

葉加瀬さんのバイオリンは歌うというよりお話ししているように、私には聴こえます。

魂にダイレクトにメッセージをくれるように感じます。

また人によって受け取るメッセージは違うのだろうな〜とも思いますが。

早速、itune で葉加瀬さんのアルバムを購入してしまいました。

CDを買うか、itune 買うか、ずっと迷っていたのですよね〜

やっと決めました〜笑

CDも欲しい時もあると思いますがね  笑







posted by きさ at 12:02| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

「洗礼破棄証明書」私もほしいな〜



洗礼破棄証明書なるものがあるのを知ったわーい(嬉しい顔)

洗礼破棄証明書
http://cookingfoil.blog106.fc2.com/blog-entry-201.html


以下引用

少し前ですが、10万人以上が「洗礼破棄証明書」をダウンロードという報道がありました。以下に引用します。
【3月31日 AFP】英国では、キリスト教の信仰を捨てるため、ここ最近で10万人以上がインターネット上で「洗礼破棄証明書」をダウンロードしているという。

 この運動はNational Secular Society(NSS)という団体によって立ち上げられたもので、ロンドン(London)など各地で行われている無神論キャンペーンに続くものだという。一連の無神論キャンペーンでは、キリスト教の一連の警告メッセージに対抗して、ロンドン市内のバスの側面に「神は多分いない」との広告が出されている。

 NSS関係者は、「われわれは現在、羊皮紙に書かれた証明書を発行しているが、これまでに1部3ポンド(約400円)で1500枚が売れた」と語る。

 英国国教会の広報担当者はAFPに対し、「洗礼を破棄することは、個人と神との問題」だとし、同教会の公式な立場としては洗礼の記録を修正することはないとした。(c)AFP


当然のことでしょう。英国人の洞察力は優れています。

人類は、いつまでこの有史以来地上を蝕んできた悪徳ビジネスに命を吸い取られ続ければ気が済むのでしょうか。いい加減に大切な財産を溝に捨てるような蛮行とは決別するべきです。

月額献金が5000円、20歳から80歳まで60年間毎月払い続ければ360万円、席上献金が一回500円だとして、月4回の礼拝で2000円、60年間で144万円、教会までの交通費が往復1000円だとすれば、60年間で288万円、クリスマス、イースターの特別献金が合計2万円であれば120万円、このような少ない金額で見積もっても、一人あたり合計912万円です。もし月額献金が1万円であれば、それだけで720万円、什一献金で月額4万円であれば、なんと月額献金だけで生涯に2880万円教会に持っていかれているわけです。このような現実を見てどう思いますか? 同情不可能な詐欺被害者、絵に書いたようなバカ、それがあなた達です。

あなたが労働して得た大切な財産で詐欺師を養いながら死にますか?それとも「洗礼破棄証明書」をダウンロードして真面目な人生を取り戻しますか?



「からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち」
AMAZON

この本を書いたマーガレット・ハンフリーズも敬虔なクリスチャンの家庭に育った。
そして幼い時から教会に行き、おこづかいの中から恵まれない子ども達のためにと献金を捧げていた。
後年、マーガレットはソーシャル・ワーカーとして働き、イギリスの児童養護施設から子どもたちが親に断りもなく消えていることを知った。
そしてその子ども達ははるか離れたオーストラリアの施設に送られ、労働(強制)させられ、虐待にあっていた。
マーガレットは、幼い日にささげたあのお金はいったい何のために使われたのか・・・?
彼女はオーストラリアに何回も足を運び、ソーシャル・ワーカーとして、彼の地の今は大人になったかつてイギリスの施設にいた子ども達の虐待の体験を聞く。
イギリスに戻ったクリスマス、彼女は聖歌さえ聞くことができなくなる。
子どもたちが受けた虐待の体験が聖歌とともにフラッシュバックするから。


私自身は彼女のような強烈な体験はない。
しかし、養護学校で非常勤講師として働き始めた時に、なぜか職場のクラス主任(男)が同じ教会員だった。
(養護学校は複数担任制)
私は校外学習の日に体調を崩した。
学校に連絡を入れたが何故か無断欠席として扱われ、私の責任になすりつけられていた。
私は精神状態、体調も悪く、反撃するすべもなかった。ショックだった。
その教会員の教師は間もなく教育指導主事として教育委員会に移動した。

今思えばそれが完全に教会から離れる主原因になったかもしれない。
そう考えれば感謝するべきかもしれない 笑

83歳の母は教会に通い続けている。
私は高校生の時に洗礼を受けているので籍(?)らしきものはある。
母は言わなければ勝手に札幌の教会に移しただろう。
「私は教会にはいかないから、勝手に移さないで」
母「困る」
「私の方が困る」
家事、家族、一切関心がなくなった母は教会に行くときだけシャキッとするらしい。
いったい何のために生きているのか・・
自分のための食事も満足に作ることもしないのに。
それでありながら教会員である自分は、娘より、孫娘より、優れた人間だと思っているのである。







posted by きさ at 09:31| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月06日

フクシマ、秘められた原爆開発 戦争末期にウラン選鉱場



フクシマ、秘められた原爆開発 戦争末期にウラン選鉱場

東京電力福島第一原発の事故は、核の世界史にフクシマの名を刻み付けた。その原発の約60キロ南西に、第2次世界大戦中に原子爆弾の開発拠点にされた町、福島県石川町がある。著書『「核」論』で原子力の歴史を考察したジャーナリスト武田徹さん(52)とともに、「日本と核」の歴史の深部を訪ねた。

 石川町立歴史民俗資料館。展示室のパネルに「原子爆弾と石川町の関わり」と書かれていた。建物の脇に回ると、長さ40メートルはありそうな石垣があった。

 「鉱石からウランを取り出す選鉱場跡です。この一帯がウラン抽出の工場でした」。町史編纂(へんさん)専門委員の橋本悦雄さん(62)が説明した。約20年前から、町と原爆の歴史を調べている。

 「大きいですね」。武田さんは4メートルほどの石垣を見上げた。

 戦後に防衛庁防衛研修所戦史室がまとめた『戦史叢書(そうしょ)』の中には、戦争中に日本国内で極秘に進められた原爆開発の歴史がつづられている。

 製造に必要なウランを入手するため陸軍が目をつけたのが、鉱物産地である石川町だった。「1945年4月以降、動員された地元学生120人が採掘した。しかし十分に集まらなかったようです」と橋本さん。

 「ウランは残っていないのですか」と武田さんが尋ねる。橋本さんは「敗戦直後にGHQ(連合国軍総司令部)が持っていったとのことです」。

 日本の原爆開発は結局、途上に終わる。敵国・米国は開発に成功、広島と長崎に投下した。

 もし日本が成功していたら原爆を使用しただろうか。「迷うことなく使ったでしょう」と橋本さん。「実際には目的地へ運ぶ方法はなかったでしょうが」

 敗戦から戦後へ。石川町では石英などの鉱物生産が続いたが、輸入品に押され、70年代に鉱山は役目を終えた。一方、53年にはアイゼンハワー米大統領が核の「平和利用」を提唱。日本政府も同調し、71年、福島第一原発の営業運転が始まる。

 「第一原発が誘致されたころ、石川町の歴史は思い出されたのでしょうか」と武田さんが聞く。橋本さんは「いえ」と首を振った。「秘史でしたから」

 町と原爆のつながりは戦後、保阪正康『昭和陸軍の研究』など一部で紹介されたものの、広く知られる機会は少なかった。「存在しなかったものとして目をそらしてきた戦争史の一例だろう」と武田さんは言った。

 石川町は福島県内では大気中の放射線量が低い地域で、町内で原発事故の爪痕を見ることはまれだった。だがある宿泊施設を訪れると、234人もの避難者が暮らしていた。放射能に生活を奪われた原発30キロ圏内の町、広野町の住民たちだった。

 居酒屋を営んでいた鈴木すみさん(46)は中学生の子供とともに避難していた。収入を絶たれ、店を再開したいが「原発が怖くて出来ない」という。「考えちゃうんです。娘が子供を産むとき大丈夫なのかって」。次の次の世代の生のありように、事故は影響を及ぼしていた。

 原爆開発という過去は、かすみの向こう側にあった。だが避難者の恐怖は、明確に未来へつながっていた。(塩倉裕)

 <石川町と原爆開発> 戦時中に日本陸軍が進めた原爆開発は、東京の理化学研究所を中心に進められ、「ニ号研究」と呼ばれた。石川町に期待されたのは、原料となるウランの生産。地元の学生たちによる鉱石採掘作業は1945年8月15日まで続いたという。

◆「戦中」と「戦後」、大きな断絶

 <武田徹さんの話> 原爆開発の「戦中」と原発推進の「戦後」。両方の歴史の間に大きな断絶があると感じた。それがなければ福島には違う歴史があったかもしれないと思えて、惜しい。核の持つ光と影の乖離(かいり)がもう少し検討されていれば、原発をつくる際の“初期設定”が少しは変わっていたはずなのだ。

 民主主義では、情報が有権者に共有されていることが必要。だが、原子力は軍事技術と地続きなので機密とのつながりが強く、民主的に運営しにくい。

 だが原子力にせよ自然エネルギーにせよ、選ぶかどうかの判断は、リスクとメリットの情報が両方しっかり共有されたうえで行われるべきだ。原子力を安全と信じた歴史を繰り返してはならない。

    ◇

(たけだ・とおる)恵泉女学園大学教授。『「核」論』に増補した近刊『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』が好評。


http://book.asahi.com/clip/TKY201106080281.html

元記事に画像あり
posted by きさ at 23:21| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。